世の中なんでも、わかりやすくないし、どれだけ説明されても理解なんてできない。

でも、あいまいなことを「書いていく」ことで、なにかが見つけられたらいいなって、そうおもってやってます。

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2010年6月28日月曜日

作品たちについて。大衆文化について。

僕が思うに東野圭吾や伊坂幸太郎、石田衣良といった作家たちは「わかりやす過ぎる」と思います。具象的でエンターテインメント性に溢れています。読後感の疑問点などはあまりなく、「あー、おもしろかった」的な小説です。こういった「わかりやす過ぎる」小説は夏目漱石や大江健三郎なんかの「わかるようでわからない」小説とは別種のものだと思うわけです。

比べてみると前者は簡単に映像化ができてしまいます。初めに上げた3人の作家の作品の映画化を見れば一目瞭然ですね。後者は映像化なんてできたものじゃありません。なぜでしょうか???

それは「文章表現がとことん抽象的な概念を描いている」ためだと思います。映像表現は目に見えることで多くを説明してしまうゆえに具象的にならざるを得ません。そのため文章が抽象的なものを描いていると映像化は難しく、逆も然りです。

個人的に思うことは文章作品、映像作品、音による作品、絵による作品…世の中すべての「作品を創る」という行為を考えたとき、「抽象的なこと」「わかりそうでわからないこと」を描くことが重要な一つの役割だと思うのです。だからオススメの書籍や映画にもそのような「抽象的なもの」を描くことに成功していると思われる作品をあげようと心掛けています。

注意しておきたいのは、僕が「わかりやす過ぎる」と呼ぶ作品に対して唾を吐いているわけではないということです。もちろん、その作品たちはわかりやすいので凄く楽しめます。このような作品を楽しむ心を失っては本末転倒だと思ってます。

ただ、僕は世間一般的に「わかりやすいもの」を求め過ぎていることに疑問符を投げかけたいのです。テレビなんかその最たるものです。テレビ番組の傾向は「手っ取り早く人気を取れるもの=わかりやすいもの」…となっていってます。

マスメディアの政治批判だってそうです。確かに管総理は自分の消費税に対する提案を簡単に変えたという点においては批判されるべきかもしれません。しかし「自民党の真似をした」などという批判はおかしいと思います。政策に著作権などはなく、それが国のためになるのなら積極的に真似をするべきです。政治を商売と、マニフェストを商品と勘違いしていると思います。このような批判は「ただ批判をしたいだけ」なのです。なぜなら「批判」はわかりやすくて手っ取り早いから。大衆の多くがマスメディアに踊らされている現状を考えると、マスメディアが変わらなければ、政治は変わらない。マスメディアが変わるには「マス=大衆」が変わらなければいけないと思います。

少し話が大きくなりました。僕は東野圭吾などのエンターテインメント性溢れる作品も勿論好きです。しかし、「わかりやすいもの」しか是としないような風潮、「大衆」全体の傾向に異を唱えたいです。

2 件のコメント:

  1. 大衆(俺を含む)みなさんはわかりやすいものを是としているっていうのもあると思うけど、本質は「わかりやすいものしか理解出来ない」ってところにあると思うよ。テレビ・インターネットの台頭で活字離れが進んで、文字から想像する力が衰退してるからね。俺もその一人。だからそれに伴って世の中には「わかりやすい」文学とか映画だとかが溢れていく悪循環になるわけやね。だってわからないってつまらないからね。わかりにくさ(抽象的)を楽しむ心は今の大衆には無いだろうね。文字じゃ映像のわかりやすさ、受け取りやすさ、とっつきやすさで敵わないからね。でもそれって本当に残念よね。大衆って言葉自体「バカ」とイコールなんじゃねーか?バカっていうもんわ自分がバカって気づかないからまたバカなんだよねぇ…
    大衆を変えたい?とかってよく言うけどあんまり本気で変えようとしてるひと見たこと無いよわ。もちろんマコリングマを非難してるわけじゃないくてよ。

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  2. マコリングマ2010年7月1日 10:58

    「大衆を変えることはできない」って言っちゃいいすぎだけど、基本的に人の本質って外からの影響で変わらないと思う。アニメオタクにビームスの話をしたって関心を示さないのと同じように。

    じゃあ何が人を変えるか?それはその「人」自身の考えるという行為によってのみ、人は変わるんだと思う。だから他人が人を変えることはできないけど他人が人に何かを考えさせて、結果的に人を変えることはできると思う。

    わかりやすいものって一過性が強くて「考える」という行為に至らないことが多い。もちろんおれが「わかりやす過ぎる」といった作品たちだって、テーマも心に残るものもある。でも抽象的でわからないことは「考える」という行為ための上級のエサだと思う。多くの人は目の前のできあいのエサに跳びついてしまうのだけれど。


    「そりゃそうさ。みんないつかは死ぬ。でもね、それまでに50年は生きなきゃならんし、色んなことを考えながら50年生きるのは、はっきり言って何も考えずに5千年生きるよりずっと疲れる。そうだろ?」(村上春樹『風の歌を聴け』より)


    考えないほうが楽だ。だけど考えないことが正しいとはどうしても思えない。

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