「原点に帰る」という言葉の下で、すべて手書きで描かれたジブリ作品。見始めは違和感を感じますが、徐々にそれを普通にしてしまうところがやはりジブリの力量ですね。
この映画、わけがわからなかったので2回連続で観賞しました。始めて同じ映画を2回連続で見ました。(2回目は片手間だったけど)
なにがそこまでわからないかというと、全体的に不気味な訳です。この映画の世界はひょんなことから海面が上昇し、カンブリア紀の生物・自然の溢れる海になってしまいます。町は海中に沈んでしまい、人間の文明と呼べるものが殆ど無くなってしまいます。しかし、なんだろうこの登場人物の落ち着きようは!「ぼくもリサのおっぱいを飲んだんだよ」なんて言ってられない状況のはずです。むしろゴジラ出現顔負けのパニックが起こってもおかしくないはず。
解釈として考えられるのは、パニックが起こらないのはもう皆が死んでいるからだというものです。宗助とポニョを残して人は皆、死んでしまう。夫婦に船で出会った川は「三途の川」であり、みんなが死んだからこそ足の不自由だった老婦人たちは走り回れるようになっている。
物語の中でただ一人、トキさんという、いじわるそうな老婦人だけが現実の「現代人」の感覚を持っています。人面魚であるポニョを嫌っていたし、文明崩壊後の世界では半ばパニック。フジモト(ポニョの父)の言うことなんて信じません。しかしトキさんは物語を通して、わりかし愚かな人物として描かれていますね。
『崖の上のポニョ』は要所要所に宮崎駿の「現代批判」がなされた作品なのかもしれません。理由をまとめておきます。
①町(文明)は沈み、自然の海に溢れる(原点回帰)
②その影響で人はみんな一度死んで、宗助とポニョの儀式によって戻る(原点回帰)
③夫婦とのおっぱい談義(本来の生のあり方を主張)
④「トキさん」という現代人の感覚を持った人が愚かしく描かれる(現代批判)
⑤物語の終わりでも、自然の世界から人間の文明の世界に戻ることがない(現代批判)
宮崎駿は「現代社会のリセット」を望んでいるのかもしれません。そして、いつになく攻撃姿勢なのでしょう。いままでも、ちらほらとこういった思想が見られた気がしますが、それを前面に押し出した作品を作ってきました。物語での「海面の上昇」も現実の「地球温暖化」と結びつけることも容易です。
以上に書いたことはあくまでも推測の域を出ませんが、宮崎駿の主張の仕方は攻撃的になってきていると思います。この作品にCGを一切使わず手書きで描いたことも、文明批判の姿勢かもしれません。
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