世の中なんでも、わかりやすくないし、どれだけ説明されても理解なんてできない。

でも、あいまいなことを「書いていく」ことで、なにかが見つけられたらいいなって、そうおもってやってます。

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2011年5月28日土曜日

愛国主義の創成


  • 『天演論』は、ハクスリー『進化と倫理』の翻訳であるが、訳文と区別して厳復の意見が挿入されている。(中略)もちろん、『天演論』以前にも進化論は導入されてきたが、それでも『天演論』刊行の歴史的意義が大きいとして論じられてきた。人間存在も本来的には生存競争の結果として生まれてきたのだが、それに抗するように倫理を形作らなければならない。これを怠ると文明は下降線をたどるに至るという。(中略)ハクスリーの著作は今でも大きな意義を持っている。

  • (「華」「夷」という二分法が)どのような意味を込めて用い、政権の正当化に役立てるのかは、各々の政治的状況と個別的判断によるものと考えるべきだろう。この意味で、古来持続する「中華思想」などというものは存在しないと言える。

  • (日本の)「文明開化」の背景にあるのは、単に欧米のほうを向くというだけでなく、敢えて清朝に背を向けてゆこうとする意識なのである。

  • 明治日本における軍国主義とむすびついた愛国の理念も、こうして中国に導入されていった。もちろん、中国の国粋を強調してゆく流れも重要なのだが、中国における愛国主義の起源を見る場合、日本の国民統合と強国化による刺激が大きかったことを忘れてはならない

  • 「孟子いわく、外国に滅ぼされる国は、必ずやその前に自分で滅亡の道を歩んでいる、と〔『孟子』離婁篇〕。」この言葉を“利用”して梁啓超は「インドを滅ぼしたのは、インドの酋長であり、イギリス人ではない。ポーランドを滅ぼしたのはポーランドの貴族であり、ロシア・プロイセン・オーストリアではない」と述べた。さらに、汪精衛が、中国を滅ぼすのは「西洋」ではなく、満州政府であり、これを打倒しなければ、瓜分(中国分割)の原因は残る、と主張した。

  • 『新民業報』3号、『浙江潮』一期、『新湖南』1902、『国粋学報』など、中国の郷土の歴史・地理・自然(「格致」)の観点から愛国心を喚起させる書籍が多くみられる。郷土を愛する気持ちを、そのまま拡大することで愛国心になると考えられていたのである。

  • 梁啓超は過去の史学が、王朝の正当性について論じていたことを厳しく批判した。章炳麟は『中国通史』を執筆し、書簡を梁啓超に送った。そこでは『漢書』以来の正史が各王朝ごとの断代史であったのと違い、古代からの歴史を通観する視点に立った。しかし、正史史観を否定するということは新たな「紀元」の決定が必要となる。そこで、(1)漢種の始祖であるため、黄帝の紀元を用いる(2)孔子が大同の治(理想の政治)の始まりを想定した帝堯の紀元を用いる(3)夏王朝の創始からその始祖の大禹の紀元を用いる(4)中国は秦によって統一されたので、秦の紀元を用いる…などの考えがあった。このうち(1)が「中国四千年の歴史」と言われる考えであるだろう。しかし、実際には中華民国成立とともに「民国何年」と書くことや、中華民国建国以前のことを書く際は、旧来の王朝の年号、あるいは西暦を表記するのに落ち着いた。(きっと実用の点から使いにくかったのだろう。)


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