パスカル『パンセ』を読みました。この本はパスカルの死後、彼が本を書くために残した構想段階のメモを別の人物が編集したものです。だから厳密にいえばパスカルの著作ではないのかもしれません。
上巻にして、かの有名な「人間は考える葦である」という言葉が登場しました。でも、このフレーズよりも私の中で響いた言葉があります。下にそれを記します。
「なぜ私を殺すのだ。〔そちらが優勢なのに。私には武器がないのだ〕――「なんですって。君は水の向こう側に住んでいるのではないか。友よ、もし君がこちら側に住んでいたとしたら、僕は人殺しになるだろうし、君をこんなふうに殺すのは正しくないことだろう。だが、君は、向こう側に住んでいる以上、僕は勇士であり、これが正しいことなのだ」 (中公クラシックス p216より)
この言葉の言い分には、生まれもって変わることのない貴賤という問題がある。この言葉ほど(少なくとも現代の日本からすれば)訳の分からない論理で押し切られたらたまったものではないが、実際にこれに似た論理が社会でまかり通ってはいないか?
上に引用した言葉に「うんうん」と頷いて同意する人は、まさかいないと思う。それならば、実社会で起こっている「不正」も許してはならないと思う。
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