序章:脱アイデンティティの理論 上野千鶴子
第一章:脱アイデンティティの政治 伊野真一
第二章:物語アイデンティティを越えて? 浅野智彦
第三章:消費の物語の喪失と、さまよう「自分らしさ」 三浦 展
第四章:解離の時代にアイデンティティを擁護するために 斎藤環
第五章:非・決定のアイデンティティ 平田由美
第六章:言語化されずに身体化された記憶と、複合的アイデンティティ 鄭暎惠
第七章:母語幻想と言語アイデンティティ 小森陽一
第八章:アイデンティティとポジショナリティ 千田有紀
終章:脱アイデンティティの戦略 上野千鶴子
…という構成になっています。読んで僕がはじめに気付いたのは『脱アイデンティティ』という本のタイトルはこの本の特徴を示していないということです。編集者の上野千鶴子も認めていますが、執筆者ごとに違った「アイデンティティ」観をもっている。みんながみんな「脱アイデンティティ」を唱える訳ではなく、「複合的アイデンティティ」なるものを唱える人もいます。そもそも論文に「脱アイデンティティ」という単語を使っているのは上野千鶴子と小森陽一のみでした。そういう意味で 『脱アイデンティティ』というタイトルは不適切だと思います。フェミニズムの話が多かったし。
僕はこの本を手に取った時、哲学的な意味での「アイデンティティ」だと思い読み始めました。しかし、この本で書かれている「アイデンティティ」は道具として使われてきた「アイデンティティ」です。それも、日本の中でアイデンティティをどう考えるかという範疇をほどんど出ません。日本の出版物だから当たり前だと言われればそれまでですが。
そして本書で論じられていることは内容が難しいです。
シニシズムだのマージナルだの、エイジェンシーだのマクロナラティヴだの、アドホックだのアイロニーだの、メタポジションだのメタ志向・モード志向だの、クオリアだのシスターフッドだの……本当に意味不明・理解不能な概念が満載です!!律儀にやってたら電子辞書と友達になれるかもしれないです。
だから3,4割理解するつもりで読みました。遠慮がちに言って3割は理解できたのではないかなと思います。特に僕が興味深いと思ったのは序章と第六章と第七章です。
序章で紹介されている「誰がアイデンティティを必要とするのか? Who needs identity ?」というスチュアート・ホールの呼びかけが胸に響きました。もしかしたら「アイデンティティ」は権力や階層、マジョリティーとマイノリティーという言葉から切っても切れない関係にあるのかもしれません。
もちろん、この場合でいう「アイデンティティ」は道具としての「アイデンティティ」(自己同一性)です。
では「自分が自分である」というときの「アイデンティティ」(自我同一性)はどうして必要なのでしょうか?そもそも「自分が自分である」なんていう確たる証拠は存在するのでしょうか?
一言で言うなら「アイデンティティは一言では表せない概念」です。そのことがよくわかりました。
この本はアイデンティティについて考えるための良き入門本かもしれません。入門本にしては難しいけど。
読了期間 5/13→5/25
評価 ★★★☆☆
多文化の中で生きてる人間は自分のアイデンティティを見失うことがよくあるんだって。日本人にはあんまりないみたいだけど
返信削除第七章に書いてあったけど、日本人はアイデンティティという意識自体が薄いらしい。例えば「社会」って言葉は英語の“society”を漢字2文字で翻訳して日本に輸入されたわけで、独自の母語という要素が日本語にはないとか。
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