どうやら飯田橋ギンレイホールは同じようなテーマを持った作品を同時上映させるらしく、『フローズン・リバー』と同じように、この映画も「犯罪」と「悪」の関係がわからなくなります。
ジュリエットは息子殺しの罪による15年の刑期を終え、妹のレアの家に身を寄せることになった。ジュリエットは寡黙で何を考えているのかつかめないところがある。果たして彼女はなぜ息子を殺したのか!?…というのがあらすじです。
暗くなりそうな物語だなと思うかもしれない。しかし、観賞者はそれほど暗い気持ちにはならないだろう。なぜなら映画のタイトルを見てわかるようにジュリエットは、おそらく極悪人じゃないのだろうなというのはわかってしまうからだ。このタイトルのつけ方にはちょっと疑問がある。個人的な意見を言えば、ジュリエットが悪人なのかもしれないという疑念が観賞者の頭にあるほうが、ラストに力が生まれるんじゃないかと思うからだ。
何かタイトルによって見方を縛り付けているような気がしてならない。でもおそらくタイトルのつけ方にもねらいがあるのだと思う。そのねらいについて僕が思うことを書くためには映画の内容に踏み込まなければならない。
↓↓↓↓ 以下ネタバレを含みます ↓↓↓↓
おそらく、この映画で一番伝えたいことはジュリエットが悪人かどうかの問題でも、周りの人々の優しさに触れることでもなく、「母親の息子への愛情」なんじゃないかと思う。息子を愛していたからこそ彼女は寡黙であったのだ。
ジュリエットはラストシーンの「なぜみんなに言わなかったの?」という妹からの問いかけに対して「死に口実は無い」と言った。もし彼女の言う「口実」を裁判で話したとしたら論議を呼び15年までの刑にはならなかっただろう、親から縁を切られることもなかっただろう。しかし、それは自分自身の保身になってしまい、決して息子のためではない。息子の死は息子の死として悼まれるべきであって、無用の口実や、論議を息子の死に持ち込みたくない…と彼女は考えたのではないか?
こう考えると、このタイトルのつけ方は観賞者に、彼女は悪人かどうかの疑念ではなく、彼女はなぜ自分を弁護しなかったのかという疑問を持ちながら映画を見てほしいということなのじゃないかなと思う。
しかし、これも俺が捉えるこの映画の見方であり感想。他の方はどう思うのだろうか?
評価 ★★★☆☆
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