上野千鶴子『発情装置―エロスのシナリオ』を読んだ。
1998年に発売した本だから、ジェンダー研究における最新情報を得るには向かないけど、その手の知識がなくても理解しやすかったのでおもしろかった。この本で基礎知識を得てからのほうが、以前に読んだ『脱アイデンティティ』をもうちょっと理解できたのかもしれない。
僕は以前まで、フェミニストを嫌っていた。男と女は違うものだから、ある程度の差はあって当然だし、男にだって権利を主張したいと思うことだってある。例えば、同じ無職でも、女性ならば「家事手伝い」になるが、男性の場合は「ニート」と呼ばれる…といったことだ。しかし、僕の認識は間違っていた。僕が嫌っていたのはフェミニストですらない、ただの「性別にこだわる人」だった。フェミニストとは「自分がこだわりたくないのに、世間が性別にこだわることに、こだわる女性」であり、そこには大きな違いがある。
女性は個人に恋をして、発情するけれども、男性は「女」という記号に発情する。つまり、男は「女」というだけで、無条件に発情してしまう、これは真実だと思う。他にもはっと思わせられることが多くあった。例えば、筆者は、世の中が強制異性愛社会であるという。「未婚」という言葉には「普通の人」であれば結婚をする、という前提が含まれているし、既婚者が独身者に「なぜ結婚しないの?」という問いは至るところに溢れている。
この「なぜ結婚しないの?」という質問をする既婚者は、おそらく「出会いがない、良い人がいない。」という言葉を待っている。そのことで、私は結婚できたから他の人が得ることのできない「幸せ」を持っているのだ、と自分に言い聞かせて安心したいのだ。みんなが「安心したい」がために、異性愛の結婚という〈対〉幻想を持ち、自分と違う価値観の、ゲイやレズビアンを差別する。僕は、世間が決めることの多くはこの「安心したい」という感情によって作られていると思う。自分より下がいるという「安心」を得たいがためにいじめが起こるし、人が知っていることを自分も知っているという「安心」を得たいがために流行がある。
もちろん、それらの世間の決める「安心」が悪いというわけではない。(いじめは良くないが)ただ、その「安心」が本当に自分にとっても当てはまるものなのかを考えてみる必要はあると思う。
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