アンデルセン『絵のない絵本』を読みました。
読んでみると、この本が「絵のない絵本」というタイトルである理由がわかった気がします。それを説明するために、少し本から文章を引用してみることにします。以下は「第三十三夜」まである本書の「第七夜」の最初のほうの文章です。
「波打ちぎわにそって、カシワの木とブナの木の森がひろがっています。そこはいかにもすがすがしい森でよい香りがただよっています。春になると、幾百ともしれないナイチンゲールが訪れてきます。この森のすぐ近くに海があります。永遠に姿を変えている海です。そしてこの森と海とのあいだを、広い国道が通っています。馬車がつぎからつぎへと走っています。けれどもわたしは、その後については行きません。わたしの眼は、たいてい一つの点にとまるのです。そこには一つの大きな塚があります。キイチゴの蔓とリンボクが、石の間からのびています。ここに、自然の中の詩があるのです。
絵がなくても読者の想像の中で情景がどんどん美しくなっていく文章ではないでしょうか?…とはいえ、私のように「カシワの木」と「ブナの木」の違いがわからなかったり、「ナイチンゲール」がどんな鳥か、「リンボク」はどんな植物か、わからなかったら想像力が止まってしまう可能性があります。(知らないからこそ、逆に広がる可能性もあるけど)
この本の一つ一つのエピソードから、示唆や教訓が得られるわけではない。でもそこには感動…というよりはもっと根源的な「ふるえ」があると思います(※)。西洋の小説であるはずなのに、エピソードの中に日本の「無常観」を見ることができたような気もします。読んでみないと伝わらないと思うし、読んでもちゃんと読まないと伝わらないかもしれないものが、この本にはあると思います。(勿論、私も全てを読み取ることができている訳ではありません)
※「感動」というと人をジーンとさせる、わかりやすいエピソードというニュアンスがある気がしたので、その表現は避けました。
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