世の中なんでも、わかりやすくないし、どれだけ説明されても理解なんてできない。

でも、あいまいなことを「書いていく」ことで、なにかが見つけられたらいいなって、そうおもってやってます。

映画の記録はFilmarksで対応

2011年5月15日日曜日

変容する近代東アジアの国際秩序

そろそろ、卒論のために歴史の本を中心に本を読む生活をしてみようかな、と思っています。大体、歴史の本6~7割、その他の本3~4割で読みたいです。

● アヘン戦争(1840)後の南京条約は中国にとって実はそれほど「痛い」条約ではなかった。なぜなら、片務的最恵国待遇は中国伝統の「一視同仁」という徳治の理念によって正当化されてしまったし、中国は条約に書かれていないことに関しては譲らない姿勢をとり続けたからだ。(そもそも条約の捉え方に価値観の違いも出ていた)そのため、イギリスはアロー戦争を起こして、新しく天津条約などを結ぶことにした。

● 【礼部】六部の一つで、典礼・学校事務・科挙などをあつかうとともに朝貢関係もあつかう部。中華のイデオロギーを担当していたとも言える重要な部。

● 対馬に対する朝鮮と日本の両属的関係⇒1869年に日本が外務省を設置し近代的な外交体制の下で対馬を日本の一辺境に。(朝鮮不満)⇒1875年江華島事件を起こし、翌年、日朝修好条規で「朝鮮ハ自主ノ国」と規定する。⇒1882年、朝鮮で日本公使館を焼き討ち(壬午軍乱)⇒中国が朝鮮に露骨な干渉。⇒1884年、金玉均ら急進開化派(中国の宗属関係からの独立を目指す派閥)が日本公使館の支援を得て甲申政変。⇒1894年、キリスト教に反発して作られた東学党の信者が甲午農民戦争を起こすと、なぜか日本が介入して、日清戦争に発展。⇒下関条約。⇒「列強」による、瓜分(メロンカット)

● 「列強」により脅かされている最中の1898年、厳復の翻訳刊行した『天演論』によって社会進化論が当時の知識人の間で爆発的に普及。以後、「淘汰」されないように近代国家モデルを選び取り、再編を目指す。

 

歴史の本に関しての記述は以上のようなメモ風に書いていこうと思います。ブログで論文やレポートを書いても仕方ないから。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿